1872年(明治5年)、広隆寺内に太秦村太秦学校として開校。昭和に入ってから京都市立太秦尋常小学校・京都市太秦国民学校・京都市立太秦小学校と改称されてきました。その通学区域で組織された町内会連合会の区域が現在の太秦学区のもとになっています。
京都盆地の西部の開けた右京の中心部に太秦はあります。5世紀頃、朝鮮半島から渡来し養蚕、機械、土木工事に優れた技術を持つ氏族(秦氏)の根拠地として誕生した古い歴史があります。うず高く積まれた(数多くの)絹、綾を献上したことで、禹豆麻佐(うずまさ)の姓をいただき、その後、この地域一帯が「太秦」と呼ばれるようになったと云われています。
秦氏は長岡京、平安京の造営に貢献し平安遷都1200年余の京都の歴史の礎を築いた氏族でもあり、今も学区内に残る「天塚古墳(あまづかこふん)」や「蛇塚古墳(へびづかこふん)」に当時の力の片鱗が偲ばれます。
603年(推古天皇11年)秦河勝が聖徳太子から賜った仏像を本尊(弥勒菩薩半跏思惟像:国宝)として建立したとされる京都府下最古の寺院です。
木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)は、木嶋神社・蚕ノ社とも呼ばれ、地域の守り神として親しまれています。毎年7月には足つけ神事、10月には神幸祭が執り行われます。
明治28年に平安遷都1100年を記念して平安神宮が創建され「時代祭」が始まりました。京都市内の元学区で構成された平安講社の第九社「楠公上洛列(なんこうじょうらくれつ)」を、太秦学区を含めた右京区の学区が輪番で担っています。
51ケ町の自治会で構成されています。
()内は公称町名です。
加入をご希望される方は、ご近所の住民にご相談ください。ご自身の地域がわからない場合は「京都市地域コミュニティサポートセンター」にお問い合わせください。
西蜂岡町(西蜂岡町の一部)
西蜂岡町北部(西蜂岡町の一部)
西門町(西蜂岡町、桂木町、桂ヶ原町の一部)
青木元町(青木元町、西蜂岡町の一部)
元開町(西蜂岡町、多薮町の一部)
南多藪町(多薮町の一部)
南多藪町東部(多薮町の一部)/ サンヴェール太秦
南多藪町西部(多薮町の一部)/ ネオコーポ太秦
桂ヶ原町(桂木町、桂ヶ原町の一部)
東多藪町(多薮町の一部)
安養寺町(面影町、石垣町の一部)
大石町(石垣町の一部)
東奥殿町(奥殿町の一部)
西奥殿町(奥殿町の一部)
椙ノ本町(椙ノ本町)
面影町(面影町の一部)
面影町西部(面影町の一部)
東辻ヶ本町(辻ヶ本町の一部)
西辻ヶ本町(辻ヶ本町の一部)
東一ノ井町(一ノ井町の一部)
中一ノ井町(一ノ井町の一部)
西一ノ井町(一ノ井町、東蜂岡町の一部)
垣内町(垣内町)
中門前町(組石町、蜂岡町、東蜂岡町の一部)
太子前町(組石町、桂木町、桂ヶ原町の一部)
海正寺町(海正寺町)
門田町西(門田町の一部)/ ルシエル太秦
西市川町(朱雀町、藤ヶ森町、荒木町、小手角町の一部)
瀬田町(組石町、辻ヶ本町、朱雀町の一部)
南市川町(藤ヶ森町の一部)
滝ヶ花小手角町(滝ヶ花、小手角町の一部)
井戸ヶ尻町(井戸ヶ尻町の一部)
東井戸ヶ尻町(井戸ヶ尻町の一部)
森ヶ西町(森ヶ西町の一部)
森ヶ前町(森ヶ前町の一部)
蚕ノ宮町(上刑部町の一部)
下刑部町(下刑部町、下角田町の一部)
下刑部町西部(下刑部町の一部)/ プレサンスロジェ太秦天神川駅前
森ヶ東町(森ヶ東町の一部)
森ヶ東町南部(森ヶ東町の一部)
和泉式部町(和泉式部町)
森ヶ前町南(森ヶ前町の一部)
門田町南(門田町の一部)
門田町北(門田町、井戸ヶ尻町の一部)
野元町(野元町の一部)
木ノ下町(木ノ下町、野元町の一部)
松本町東(松本町の一部)
松本町南(野元町の一部)
下角田町(下角田町、下刑部町の一部)
下角田町東部(下角田町の一部)/ レスタージュ京都
下角田町西部(下角田町の一部)/ エスリード太秦三条天神川
©︎太秦自治連合会